Sansan 阿波おどり
阿波おどりもまた、
その出会いから生まれた踊りです。
阿波商人が旅先で出会った踊りや音が、
土地の人々と混ざり合い、
やがて地域に根づき、
“出会いの文化”として
暮らしの一部になっていきました。
出会いがカタチを変えながら
受け継がれていくその営みを
未来に受け継ぐべき価値あるものと捉え、
Sansanは、阿波おどりを支援していきます。
未来へ受け継ぐ、
出会いの物語。
阿波おどりに刻まれた、たくさんの出会いの軌跡。
それは今を生きる私たちにも、 未来をつくる誰かにも、大切な意味を持つはずです。
だからこそ、わたしたちは出会いの物語を 未来へ受け継いでいきます。

第66回
東京高円寺阿波おどり
2025.8
2025年8月に開催される「第66回東京高円寺阿波おどり」に、Sansanは協賛企業として参加。演舞場の一つである「純情演舞場」にフォトスポットを設置するほか、ユーザーや地域関係者を招いた観覧企画も実施。出会いの熱気に満ちたこの場を、文化とビジネスが交差する新たな出会いの舞台として後押ししていきます。

2025阿波おどり
2025.8
本場・徳島で開催される「2025阿波おどり」にて、Sansanは昨年に続き「藍場浜演舞場」のネーミングライツを取得。会場を「Sansan藍場浜演舞場」として提供し、伝統文化の担い手や来場者とともに、出会いが生まれる舞台を支えています。さらに、開催期間中には地域企業やユーザーを招いた「Sansan Innovation Tour in 徳島」も実施予定。伝統とビジネス、地域と企業をつなぐ、新たな出会いの創出を目指します。
Sansan阿波おどり
2025.4
2025年4月、Sansanは渋谷桜丘で開催された「しぶやさくらまつり」に協賛し、「Sansan阿波おどり」を実施。日本三大阿波おどりの一つである高円寺の合同連が演舞を披露し、社員や地域の人々が共に踊りを楽しむことで、新たな出会いとにぎわいを生み出しました。

Sansan阿波おどり 2025.4
渋谷阿波おどり powered by Sansan
2024.11
2024年11月、Sansanは本社移転先である渋谷サクラステージの開業を祝い、「渋谷阿波おどり powered by Sansan」を開催。日本三大阿波おどりである、徳島・高円寺・南越谷からそれぞれの選抜連/合同連が演舞を披露するほか、家族で楽しめる縁日や渋谷サクラステージ内でのフードコートとの連動企画を実施し、渋谷のまちに新たなにぎわいと出会いを創出しました。

渋谷阿波おどり powered by Sansan 2024.11
2024阿波おどり
2024.8
2024年8月、Sansanは徳島市で開催された「2024阿波おどり」に協賛し、有料演舞場の一つである「藍場浜演舞場」のネーミングライツを取得。会場を「Sansan藍場浜演舞場」と命名し、のぼりやうちわ、法被などのオリジナルクリエイティブを展開しました。これにより、地域の伝統芸能を支援するとともに、徳島とのつながりをさらに深めています。

2024阿波おどり 2024.8
はじまりは、
一つの出会いから。
一人の起業家と、一つの町のリーダー。
その出会いが、企業と地域を結び、 新たな未来を築いていく。
Sansanと徳島の繋がりは、 そんな出会いからはじまりました。
出会いの先にある、
私たちの物語。
Sansanと阿波おどりをつなぐのは、
企業としての姿勢だけではありません。
そこには、この文化に出会い、惹かれ、自ら踊り、
地域と向き合ってきた社員一人ひとりの 想いがあります。
出会いの先に広がる、それぞれの物語を通じて、
私たちの歩みを紐解きます。

神山町の緑に囲まれた一角に、古民家を改修してつくられたオフィスがある。
それはSansanが開設したサテライトオフィス「Sansan神山ラボ」。
都市と地方、企業と地域、暮らしと仕事──あらゆる境界を越えるように、この場所から多くの“出会い”が生まれてきた。


Sansan創業者の寺田親弘が初めて神山町を訪れたのは2010年のこと。
きっかけは、知人の「神山町という面白い町がある」という紹介だった。
ふと足を運んだ先で出会った風景と人との交流が、彼の価値観を大きく揺さぶったという。
寺田: 「当時は驚きましたね。こんな山あいの町に、光ファイバーが入っていて、クリエイターが拠点を構えている。しかも、住民の皆さんのエネルギーがすごい。地方にこういう可能性があるんだと気づかされました」
当時神山についた寺田の前に現れたのが、NPO法人グリーンバレーの理事長(当時)・大南信也氏だった。
「人が循環する町をつくりたい」と、企業やアーティストの誘致を進めていた彼にとっても、この出会いは大きな転機となったという。
大南: 「寺田さんとお会いして、意気投合して色々な話をした後に、寺田さんへ、『この山間の田舎町で、東京のIT企業である御社が、同じように働けるか試してもらえませんか?』と、提案しました。寺田さんは、話したその場で“ここにオフィスを出したい”と返してくれたんですよ。普通なら考える時間を取るでしょう? でも彼は、まず動く。そして人の話をきちんと聞いて、自分の言葉で返す。あれは忘れられません」
出会いが、
カタチに変わる
出会いからわずか1ヶ月後、Sansanは神山町の古民家を借りて、オフィスとしての活用をスタート。納屋は社員の生活空間「NAYA」に、母屋は仕事の場「OMOYA」に。社員が家族とともに滞在し、地域に溶け込みながら働くという新しいスタイルが、ここで生まれた。
寺田: 「都会と田舎、仕事と暮らし、そのどちらかを選ぶ必要はないと思ったんです。私がかつて駐在したシリコンバレーも職場から一歩出たら、緑があり、それが相乗効果を持っていた。両立できる形は成立するのか。神山は、Sansanにとって多様な働き方の実践の場になりました」
実際、社員は林業体験に参加したり、地元の清掃活動に加わるなど、単なる“勤務先”を超えた関係性を築いていくようになった。
大南: 「外から来た人たちが、町の行事に参加してくれる。それだけでなく、町のことを考えて行動してくれる。そういう“個人の関わり”が増えると、地域は自然に変わっていきます」

この神山での出会いと実践は、やがて大きな広がりを見せることになる。
神山に続いて全国に広がっていった「サテライトオフィス」という働き方の先駆けとして、
Sansanにはメディアや地方創生に取り組む自治体から、注目が集まった。

寺田: 「2010年ごろからリモートワークを実験することができたのは大きかったです。どんな職種が向いているのか、何に気をつけなくてはいけないのか、などナレッジを貯めることができました。結果として、コロナ禍にもスムーズにリモート体制へ移行できました。大きな挑戦をする前に、神山で“自分たちに合った働き方とは何か”を考え抜けたことが大きかったですね」
出会いを、
次の世代へ
2016年ごろから、寺田は自らの想いでもあった「学校づくり」を大南氏に相談しはじめます。
寺田: 「自分のリソースを投じて、社会にも何か働きかけをしたいと思っていて、何かやるんだったら学校だなと。それが成立するとしたら、私自身は神山町以外ないと思いました。シリコンバレーのようなイノベーションの創発に、学校の側面からもハマると思ったんです」
2019年には、学校設立の計画を記者発表会で公表。プレゼンする寺田の横には、大南氏がいました。
大南: 「私の記憶では、寺田さんと出会った2010年ごろから、寺田さんは“いずれ学校を作りたい”っていっていた記憶があります笑。すごく大きな志を抱いている人なんだなと思っていたので、2016年ごろに相談された時もさして驚きませんでした」
寺田、大南氏、そして学校づくりプロジェクトで新たに出会ったさまざまな人々との奮闘で、
2023年4月、神山町の地に、起業家育成を目指す私立高専「神山まるごと高等専門学校」が開校しました。
全寮制・学費が実質無償など、新しい形の学校に、今注目が集まっています。
実際に、全国各地から学生が集い、新たなイノベーションが、この神山で生まれています。
出会いから、
文化の未来へ
神山での出会いを起点に、新しい働き方・教育・地域との関わりを実践してきたSansan。その歩みの中で出会った、私たちにとって大切なコトが、「阿波おどり」です。
400年以上にわたって受け継がれてきたこの踊りには、「人を惹きつけ、出会いを生む力」と「コトを生み出す熱気」という、Sansanが大切にしてきた価値感が息づいています。
私たちは阿波おどりを、ただの地域行事ではなく、出会いを起点に熱が生まれ、社会が動く文化的なプラットフォームだと考えています。
神山の山間で始まった一つの出会いが、さまざまなコト起こしにつながっていったように、
この阿波おどりの舞台から生まれる出会いと熱気を、Sansanは、共に踊る阿呆として支え続けていきます。